リアル日記とブログの違い

さて、おきつねブログを開設して最初の記事から早8日が経ちました。

 

元々入院中に日記をつけ始めて、それが思ったより性に合ったからと始めたブログだったので、という事はやっぱりリアルで日記をつけていたのかというと...つけてませんでした(笑)

 

入院中はすごく暇でしたし、生活空間も狭かったですし、持ち物も少なかったですし、まあ兎に角リアル日記はあの環境だからこそ続いていたんでしょう。

でもまだ自宅療養中で退屈しのぎの思考自体はずっと続いています。むしろ調子がよくなるにつれてどんどん複雑に、深く...という事で、これこそ何かに書き留めて置かないと、あとアウトプットしながらじゃないと思考の道がそれてしまうので。

でも手元の小さなノートは入院中に使っていたもので、入院生活最終日の感想の続きはなんとなく書きたくなかったし、でもブログはいちいちPCを起動するのが面倒だったので結局Twitterで長文書いたりしてました。なんか本末転倒というか、他にもっと適切な言葉がありそうだけどなんかそんなニュアンスの何か。

 

しかしやっぱりTwitterは自分に合っていませんね。5ツイートにも渡ったよくわからない思考をそれを望まない人たちにまで見せつけてるというのもなんですし、なんとなく交流のある人たちを意識した書き方になる事も多いので中々素直に書けないというか、本来不必要である筈の気遣いが必要になってしまうのがよろしくないなぁと。

まあでも今いる188人のフォロワーさん方は私が何を呟いても減らない精鋭揃いで、時に私の思考に前向きで興味深い意見をくれたりもするので一長一短ではありますが。

ここがTwitterの楽しいところで、普段の生活では出会えなかったであろう縁と彼らに感謝です。正直ここを離れるのは惜しいのですが、最近は望まないインプットでストレスの溜まる思いをする事も多いので潮時でしょう。

後々見返すには不便すぎますしね。

 

日記とWeblog

では本題。

そもそもブログとは何だったかという話から始めるとしましょう。

ブログの語源は"Web Log"(ウェブ日記)だそうで、Weblogが略されてblog、ブログと呼ばれる様になったそうです。

このWeb上で日記を書くという事の特性として一番大きいのが「不特定多数の読み手がいる」という事ですね。

普段リアルでつける日記の読み手って、自分以外にはほとんどいないと思います。

交換日記もありますがあれはチャットと手紙の中間みたいなものですし。

不特定多数の人に読まれるとすれば自分の死後に何らかの形で有名になってしまうパターンくらいでしょうか。生きてる間の話は考えたくないですね。

となるとリアル日記の想定する読み手は自分、人によっては読み返しもしないで時間の流れに埋もれて消えるだけかもしれません。

私は普段の垂れ流しでどこにも留まらない思考を、何らかの形で残しておきたいと思って日記(Twitter)を書いています。多分。

いや、記録かな。まあ日々思った事を文字にするのに何らかの意義を感じているのは間違いありません。

 

で、ブログの方。これは大体不特定多数の人に読まれます。

という事は、書く際に少なからずその人たちへの意識が加わります。

現にこうして日記では使わなかった敬語なんか使って、だれかに説明するかのような語り口で文章を書いているし...

あれ、という事はこの記事も誰かに読まれることになるのか。

Twitterも結構前から鍵垢でしたし、なんか恥ずかしくなってきた。

まあ読まれたくなかったらボタン一つで非公開にできるんですけど....

 

とまあこんな風に思考の純度も変わってくる訳ですね。

多分同じ事について考えていてもどっちの媒体で書き留めるかによって内容は変わってくるんじゃないかと。口調、どうしようか。

 

あと他の違いとして、読み返し易さ、扱える文字数、その辺に絵を描けるかどうか、いざという時に燃やすなどしてこの世から完全に消し去れるかどうかがありますね。

個人的にブログが勝っているのは読み返しやすさと扱える文字数。

リアルでざーーーーーっと書くと字が汚すぎて読めないんです。

ここが一番の理由かもしれない。いやこれ以外の理由って無くないか...?

 

多分毎回こんな感じでgdgdなのでしょうが、書くのにも飽きたので今日はここまで。

ブログだとどうも作り物っぽくなるのが最大の難点ですねぇ。

暫くは一度リアル日記に書き留めて、キーボード打ちでも自然に文章が書けるように訓練を...ここまでする必要あるかな?

あと途中で飽きてもいい様にルーズリーフを使うとかetc.........終わり!